住宅特集 2022年5月号
家とその気積について
2020年を思い出す。
わたしは、家のなかでなんとか「空間」を獲得しようとしていた。自分が、それまで家の外(主に製図室)に担わせていた役割を家のなかの限られた空間に付与しようとしたのだ。
それは、社会がちょうどCovid-19という、未知の事態に直面していた時期である。
いま住宅特集では、2020年のパンデミック真っ只中に設計が行われた住宅作品が多く掲載されている。また、パンデミック以前のプロジェクトもそれと並んで載っている。だから、いまこの時期の住宅特集は、そういう目線で読むと面白いな、というのが、本誌を読み込んで思ったことだ。具体的には、雑誌をパラパラとめくってみたとき、その作品の設計がパンデミックの前なのか後なのかと、なんとなく見当がつくこと。そこになにか共通点や相違点があるとしたら、それは一体なんだろう、というのがわたしの興味である。
『家というものを「建築的知性の集積としてとらえること」また、「素人的素朴さを持って考えること」。』
巻頭論文で、石上さんは、建築家が、前述のふたつを等価的に扱うことで、新しい知性を構築していくことの可能性を感じていると記述している。
わたしは、パンデミックによって、くしくも社会全体として「素人的素朴さ」の解像度は底上げされたのではないか、と考える。よって、2020年以降、建築家はそれまでよりも、住み手による使いこなしの余地やおおらかさのある住宅を施主側から求められる場面が増えたのではないか。
「屋根裏の家」と「柿の木坂通りの家」は、どちらも、2020年の夏ごろからのプロジェクトとして掲載されている。両者とも、箱型のボリュームが地面から浮いたような見せ方が特徴的だ。前者は素材の違いによってそれを表現していて、後者は一階の接道部分をガレージにすることでそれを見せている。
「柿の木坂通りの家」の若松さんがテキストで『外部のような「大きな気積」の内部空間にリアリティを感じている』と書いていた。わたしは、「気積」ということばが、妙に腑に落ちた。意識的にしろ無意識的にしろ、あのときはだれもが外を求めていた。パンデミックのなかでスタディされた住宅がもつ「気積感」には、建築的な集合知として何か期待感がある。
「トーラスハウス」は、敷地が斜面の住宅だ。3面ガラス張りの開口とコンクリートのスラブによって、建築内部に外を感じさせながら、外部には住み手の領域感を思わせる。空間のなかには、4本柱とRCブレースの力強い構造体が入ってくる。それぞれがちがう性格を持って、住み手の住みこなしを刺激しそうだ。「佐竹邸」は、構成としては、比較的コンパクトなボリュームの組み合わせに見える。平面では、階層がはっきりと分かれていて、気積として大きいわけではないのだが、リビング部分だけは、一部3面ガラス張りになっている。まちに跳ね出すような内部空間をつくるのと同時に外観では「屋根裏の家」と「柿の木坂通りの家」のようにボリュームが浮いて見える。まちに対して、「気積感」を見せる表現がとても興味深い。
余談として、本誌に掲載されているパンデミック以前から設計がはじまっているプロジェクトには、「多米の家」、「House & Restaurant」、「少路の住居」などがある。「多米の家」は、まるで造作家具が住宅スケールになったようで、住まい手の使いこなし甲斐を感じる。「House & Restaurant」は、言わずもがなビッグプロジェクトだ。これについてコメントするのは非常に難しい。しかし、わたしはパンデミックとか現代とかよりも、もっと大きな時間的スケールで、プリミティブっぽさを孕んだ住まい方を模索しているような印象を持った。
最後に、「仮の家」は、プラン上で浴室やトイレを外部に出したことによって、家形のワンルームが持つ包容力のある空間を効果的に表現していると感じた。また、その所有形態もこの建築の特色といえよう。建築は、施主の持ち家ではなく、貸し家として、土地のオーナーに賃料を支払っているそうだ。そのような所有への態度は、基礎に自然石を用いて、家がその上に載っているだけというディテールの軽快さにも、現れているように感じた。これは、冒頭にあった「素人的素朴さ」の発展として可能性があるように思える。
修士1年 蕭瑜莉
新建築 2022年5月号
月評
カーボンニュートラルを目指す上で建築が貢献できることとは何か。
貢献したのち、その先の建築の捉え方はどう変化していくのか。
本誌では、冒頭で“建築と環境”について語られる。都市が排出する温室効果ガスは地球規模での温度上昇をもたらす。現在世界的にカーボンニュートラルが謳われ、日本は2050年までにそれを実現することを目指している。部門別で見ると、建設業のCO2排出量は全体の約4割にもなるそうだ。
“なるそうだ”と述べた通り、数値だけ伝えられても日々生活する上ではそれがどれだけのことなのか実感することは難しいように感じる。しかしその認識を意に介さず、カーボンニュートラルの先駆けとして建てられた木造高層建築は、我々が想像するスケールの“木造らしさ”が失われ、あたたかみはあっても懐かしさは感じられない。Port Plus 大林組横浜研究所はまさにその典型であるように感じた。また、それは都市の中に第2の森を作ると謳ってはいるものの、それによる伐採の激化が森林減少をもたらしてしまうのではないか。カーボンニュートラルの実現に向けて、過度な環境面への配慮は、本来我々の暮らしのスケールに寄り添うはずの建築の良さを損なってしまうのではないかとも考える。
逆に、森と人の輪では過度に加工されていない丸太が用いられているため、それぞれに違う表情が現れ、より自然を身近に感じることができる。また、複雑に組まれた梁や柔らかい曲線を描く屋根により地域住民の暮らしや森に寄り添っている。元々ある自然が生かされたその空間は、本来の暮らしのスケールに寄り添った空間になり得る。これからの木造建築がこういった本来の良さを忘れたものになってほしくないと考える。
学部4年 井上啓夢