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【月評202204】 住宅特集 / 新建築 +月評・評

 

住宅特集 2022年4月号

特集/リノベーションの自由 新しい価値を創造する17のアイデア

 

「リノベ特集か、どれも一緒に見えて面白くないよなぁ。」

研究室の数人でこの号をパラパラめくりながら、そんな言葉がちらほら出ていた。私も同じようなことを言っていた気がする。

 そんな号の月評を書くにあたり、しっかり読み込んでいなかったテキストや図面を読むこととなった。そこから見えてきた面白さや、どれも同じに見えてしまう理由について書きたいと思う。

 

引き算と透明化

リノベーションで住宅を設計する際、手を加える元の建築が一世帯の必要としている面積よりも大きいものであることが多い。〈住宅以外〉→〈住宅〉への場合はもちろん、〈住宅〉→〈住宅〉への場合であっても暮らす家族の人数が減ったことによる改築などが主である。今号でも17の事例の内、11事例がこれに当てはまる。そのため〈引き算〉的な設計手法が用いられる事例が多くみられる。

必要諸室に対して空間が大きいため、壁や間仕切りを取り払う引き算の操作がおこなわれる。それによって生まれた〈余白〉が、オープンスペースや半屋外の空間として生活空間と隣接するという構図が生まれる。これはリノベ住宅の面積的なメリットを最も活かした典型的な型として存在する。

次に、引き算により生まれた余白を〈透明化〉するという手法が主流としてある。生活空間はプライベート性を保つ必要があるがそれと隣接する余白はその必要がないため、より引き算的に透明化されてゆく。壁を減らし、必要であればガラスやポリカーボネートの間仕切りを挿入することで、視覚的にも物理的にも透明にしていく。これもまた典型的な手法として今号でも多くみられた。

〈引き算〉によりむき出しになった躯体と〈透明〉な間仕切り。共通してみられるこのような空間がリノベ印のアイコンのように感じられる。これが見る人に同じような印象をあたえる原因ではないだろうか。しかしリノベ住宅の設計手法の一つとして定着しているということでもあり、住み手にとってメリットが大きいことも確かだ。〈余白〉から生まれたオープンスペースなどが竣工後、どのように活かされているのか気になるところである。

 

 

余白の新たな在り方

上述したことからリノベ住宅の設計において、引き算の設計手法を用いることを余儀なくされることが多いと言えるのではないだろうか。引き算によって生まれた〈余白〉を扱ってゆくため、新築の小住宅に見られる空間の重なりや濃密な生活空間を生み出すことは困難となる。そのため建築家の工夫の焦点となるのは〈余白〉の在り方である。その視点で今号をみると「Row House in Nishinotoin」、「光のあみの家」、「東寺の住居」は新しい余白の在り方を提示している。

3事例に共通してみられる操作は、元々人のためであった〈余白〉を他の空間に対して効果をあたえる新たな空間へと変化させていることである。それぞれに、抽象的で光を拡散する吹き抜け、熱と光を調整する空気の室、非日常を持ち込む異質な装置、という新たな形で〈余白〉に空間としての効果をあたえている。引き算によりある意味偶発的に生まれた空間を新たな効果をもつ空間として存在させる。さらにそれを空間の体積を変えずに行うことはリノベーションならではの手法であり、さらなる可能性が考えられるのではないだろうか。生活空間に付加的な効果をあたえる〈余白〉の新たな在り方を提示していて、今号では興味深い事例であった。

 

今号の「ハウス/ミルグラフ」、「東寺の住居」の2事例はハウスメーカーの建設による住宅のリノベーションである。このようなプロジェクトの需要はこれからより増してくるであろう。構造的に〈引き算〉による大きな変更が難しいこのような住宅において、いかに付加的な効果をあたえる新たな〈余白〉の在り方を提示できるかがより重要となるであろう。このような視点がこれからのリノベーション住宅には求められていくのではないだろうか。

 

最後に、

今号の「茗荷谷の舎」のような、少し壊したむき出しのRC造の建築に植物を這わせたような建築をリノベーションの事例としてよく見る。建築側の操作がどうであれ、あのようなある種の廃墟的なビジュアルの建築が美しく感じてしまう(私もなんとなく良いと感じてしまう)のはなぜだろうか。誰かの意見をきいてみたい。

 

 

修士2年 橋本唯



新建築  2022年4月号

月評

 

記憶が伝承していく建築の形態は結局どんなものなのか改めて考えさせられている。

 

パリ中心地に建つパリ政治学院キャンパスを見てみると、一見大胆に全体を新築したようだが既存建築である修道院をコンバージョンした上で、新築のパビリオンを敷地中央に位置する中庭に配置している。ガラスファサードのパビリオンは重厚感ある保存建築の中で浮くことなくむしろ溶け込んだ上で、活動が表出し賑わいを見せ、修道院建築を日常的な景色として学生生活を送ることができる。街並み保存の規制が多いパリにおいて、この事例はある意味で無難に既存建築のコンバーションのみで終わらせず次世代の為に建築用途にあった新たな土地の使い方を優先させている。

 

松崎幼稚園遊戯室棟は、かつての木造住宅がもはや1つの部屋へとスケール転換され保存されている。外壁だったものが内壁となり、格子天井はランチルームの天井となり、子供たちはこの不思議な境界を行き来しながら自由に遊ぶ空間が生まれているのだ。

堅苦しく保存建築として残せば近付き難い存在になるところを、子供たちにも触れて遊んでもらいながらその建物の価値を日々の活動の中で知り得ていくようにしている点は、新鮮で保存方法として大いに賛成できた。 

 

個人的な話になるが、現在埼玉県川越市内の歴史保存地区を敷地とする設計課題を進めている。ここでもやはり考えさせられることが多くある。川越の街並みを保存すべきとしてリノベーションばかりを進めるのが果たして川越にとっての正解なのだろうか。今街の中で見えている景観や建築物を、その時代の価値観だけで「良い」「悪い」と判断することは難しい。建築を「文化」として捉え続け、建物とその土地が活用されていかないフェーズはいつまで続けていくべきなのか。その引き際にこれからも悩まされそうだ。

 

 

修士1年 西舘桃子



月評・評

 

 

 

住宅特集
丁寧な整理ができていて驚いた。リノベーションはどれも似ているというのは、現役の建築家に対してとてもまっすぐな指摘で、真剣に受け止めるべきこと。
その上で今回の事例の中から新しい可能性を見出しており、否定に終わらない前向きな批評となっている。
我々現役の建築家も、さらなるリノベーションの可能性を探らねばならない。

 

 

新建築
住宅特集と違い、一貫したテーマが見つけにくい中で、とても現代的なプロジェクトを選んでおり興味深かった。一方で、学生のタイミングだからこそ、堂々と気になることを言っても許されることもある。批判的に建築を語っても良いと思う。
川越の話は、身近なところから良い問題意識を立ち上げていると思う。ただ、ここで使われている「文化」という言葉が、「建築を利用せずに保存する」と言う文化財的な意味で使われているが、文化はそもそも、ファッションなどのように活き活きと変わっていくものを指すこともあるので、建築もそのように生きた文化として扱うことは大切だと思う。川越は意外と使われているよね。

 

 

猪熊先生